俺tueee原理主義『悪い、その最強系ラノベアニメは本当の俺tueeeじゃない』

本当に”最強な”主人公最強モノだけ紹介します

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コラム:俺tueee原理主義ってなに?解説(原理主義早見表ver1.14)

 俺TUEEE系小説・ラノベ・アニメをたくさん見ていると、だんだん似たような展開に飽きてきて「もっと違うタイプの俺tueeeモノってないのかな」といろいろ自分の理想の作品を考える方は多いのではないでしょうか。今回はその理想のタイプを勝手に分類してみました。

 中身は千差万別ですが、これらの『こだわり』の総称を『俺tueee原理主義』と呼んでいます。もしかすると、あなたも実は『俺tueee原理主義者』かもしれません。そうじゃない人も、これを見れば俺tueee原理主義の概観が分かるハズ…… 

 

  以下俺tueee原理主義とはーーー(約7000文字の長文につき注意!)

 

 

 

 

 

 

【古典的俺TUEEE原理主義

  「最強モノ」が氾濫するほど増えるなか、実は「主人公最強モノ」って自称している作品のほとんどは苦戦アリ・そこからの主人公成長アリアリの「主人公成長モノ」なんじゃないか?という素朴な疑問から生じた伝統的原理主義。主人公のバトルにおける最強さを追求する

 

  物理的強者グループ:文字通りの物理的な強さを追求する脳筋肉体派グループ。俺tueee原理主義の原点ともいえるこのグループは、「最強モノ」を名乗るからには実際に本当に主人公が作中最強でなければならない、という考えを主軸にする。

 それなりの数の「最強モノ」に触れていないと気付かない事だが、実は「主人公最強」と銘打つ作品に出てくる主人公の多くは、全然最強ではない。というのも、苦戦したり負けたりするピンチシーンはシリアスな雰囲気を演出するし、主人公より強い敵との遭遇は緊張感を導入する常套手段であるがために、たいていの作者はこれらの「苦戦敗北からの逆転成長」という構図を使っているからだ。

 それ自体は別に悪いことではないし、むしろ作品に良い味と幅を出している。しかしながら、こうしてわざと『非最強要素・苦戦成長要素』を取り入れた変化球の「最強モノ」ばかりでは飽きてくる。というか、主人公が成長して強くなる作品など、最早ありふれていて陳腐である。

 そこで、世間一般の趣向から離れた変態的趣向を持つ「俺tueee原理主義者」が最初に起ち上げたのがこのグループである。このグループの信念を平たく言えば、「偽りなくバトル最強な主人公」というストレートな作品を求めている、ということになる。

 

 

  存在的強者グループ:主人公の物理的なスペックを重視する上記のグループから袂を分かった集団。肉体という次元でなく存在レベルでの「最強性」を追求する。その結論として、人間であること自体がもはや「弱さ」だと考えた過激派が集まっている。「ニンゲン共は肉体的に脆弱で、弱き心に縛られるのだから最強を名乗るのはおこがましい」とまるで異世界モノに出てくる魔王のような主張をする。

 彼らの理想は思念体や精神体、その他無機物的な存在が主人公になることである。一見意味不明に見えるが、人間的な弱さ(社会関係や女関連)のせいで最強主人公がつまらない失敗をする台無しな展開があまりに多いのは事実であり、そういった展開に飽きてこのグループや関連するヒロイン不要説(グループE-2に後述)などに賛同する者がいるのは、ある意味頷ける。

 

 

 


【革新的俺TUEEE原理主義

  俺tueee作品・主人公最強系作品を大量に見た結果、「tueee(ないし最強)」とは実は主人公の「強さそのもの(=ストーリー上の設定)」ではなく、むしろ周囲の驚きや主人公の生き様、あるいは爽快な描写(=ストーリー展開)に依るのではないか?という識者の間で近年主流となりつつある新たな視点。例えば、設定上は『最強な』主人公はごまんと存在するが、彼らがストーリー上では敗北続きであることはよくある。しかし冷静に考えてみると、主人公より強い敵がいるのなら、その敵の方が『最強』なのではないだろうか。

 こういった『最強(設定)』と『最強でない(ストーリー展開)』の矛盾に着目し、話の設定上だけでなく名実ともに最強である主人公を追求し始めたのが革新的俺TUEEE原理主義である。

 前述の古典的原理主義では、あくまで「主人公の物理的最強性」という設定部分のみを考察していた。しかし革新的原理主義ではそれのみならず、ストーリー全体の展開を踏まえた上で、それでもなお「主人公最強」と言えるかどうかを論じているのだ。当然の成り行きとして、「主人公最強に反しないストーリーとは何か?」が問題となり、究極的には「強者とは何か・強者とはどうあるべきか」という議論にまで発展した。ここにきて、俺TUEEE原理主義は哲学的な様相を呈し始めたのである。実はその結果、「最強」でなくても「強者」「tueee」足り得ると判明したのだが、あまりにややこしくなるのでここでは割愛する。

 革新的原理主義の各グループは、「行動」や「生き様」などをはじめとする、いわば「バトルの強さ」以外の部分で「強さとは何か」を論じていると言えよう。以下でそれぞれが何に着目して「主人公最強作品はどうあるべきか」を考えているかを紹介する。ちなみに、各グループ間に排他性はなく、同時に複数のグループに所属することもそれほど珍しくない

 

 

 

  行動的強者グループ「強さ」「tueee」とは、其れ則ち「行動」であるとする理性派集団。主人公がチートかどうか、話の設定上強いかどうかは問題では無く、行動と結果のみが評価されるべきだとしている。彼らは大きく2つの小派閥に分かれる

 

   、敗北苦戦否定派:「強さ」は戦いによって評価されるものであって、一度でも負けたのであれば、その時点でもはや「最強」の座は失っているのではないか、と主張する正論集団。この派閥の法務部は、「主人公最強モノ」を謳っておきながら、「最強の座」を作中で奪われている詐欺的作品は景品表示法に牴触するとしている。

 かなり派閥内でも思想に差があり、最強ならば作中「苦戦」すら許されるべきでないとする過激派から、多少の敗北も無様でなければ面白い(例えば、その場はヒロインを守るために撤退するが、その後すぐに相手を抹殺しにいく等は許されるべき)とする穏健派までいる。


   、最適解の行動派:上の派閥がやや鋭化した集団。「強い」のであるなら戦闘における無敗はもちろんだが、それ以外の行動さえも「強く」なければならないというのが主な思想。もし話の都合上つまらない間違いや失敗を主人公がしたり、急にウジウジし始めたのなら、もはやその作品はおしまいである、と彼らは考えている。

 それまで命のやり取りをしていた敵をナゼカ情けで許し、次の巻で逃がした敵に再び襲撃を受ける(しかも負けて味方が死ぬ)というようなおバカな展開は「最強モノ」にありがちな(作者の書きやすい)シリアスエピソードであり、彼らの理想とする有能な主人公はなかなか存在しない。この派閥には、話の都合上キャラクターが突然マヌケになったり、それまでと矛盾した行動をとることに強い違和感を覚える、理系タイプが多く所属する。

 

 

 

 

  メタ的強者グループややメタ的な視点で俺tueeeを測ろうとする異次元集団。彼らによると、「tueee」とはとどのつまり敵を倒す爽快感であり、作品を俯瞰的に判断した際の主人公の「活躍」が最重要であるらしい。(部分的な活躍シーンがあっても意味がない。あくまで神視点での作品全体の評価である) このグループは以下の3つの小派閥に派生している

 

   、ヘイト-爽快間の差を重視派:俺tueeeは、主人公がヘイトの溜まっている敵を蹴散らし倒すというカタルシスによってこそ生まれるのだ、と主張する派閥。彼らのもっぱらの興味は、「いかに嫌味な敵が出てくるか」と逆に「その嫌な敵をどうやって蹴散らすか」という対比構造であり、溜まったヘイト・ストレスを解消するだけのよほど爽快な復讐がなければ駄作であると考えている

 最強系作品は、お人よしで情けをかけて許したり、殺すKAKUGOなどの展開がヘイト解消を邪魔していることが多く、彼らからすると現存する最強モノはほぼ全て駄作らしい。ここにはカタルシスの為にあえて嫌なシーンや鬱展開を見て楽しむという変態が多く所属している。


   、ヘイト存在自体否定派:上記のカタルシス派閥に異議を唱えた集団。「ヘイトがたまって爽快な復讐」という構造自体が一般人の域を出てはいないため「強さ」は感じられない。そもそも復讐しなければいけないような状況に陥るのは弱者である、と教育委員会も真っ青の弱肉強食的な主張をする。

 この思想を突き詰めれば「シリアスな問題」が起きない(事前に手を打っておくか、即座に事態を収拾させられる)のが真の強者であり、「バトル最強モノ」とは結局のところ、「バトル要素の無い日常系」に収斂するはずだ、という本末転倒なパラドックスに彼らは日々頭を悩ませている。ここに所属するのは、哀れな町娘すら冷酷に切り捨てるような輩が多い。


   、理不尽への対抗派:上記のヘイト存在自体否定派の亜種。降りかかる理不尽さをいかに乗り越えるか、そのような「普通なら回避できない不幸」を思い通りに壊せるか、という運命を切り開くほどの力にのみ「強さ」は宿ると信じる集団。彼らは周囲に流される受け身な主人公には否定的で、作品の「話の流れ」をぶった切って常に思い通りの結果にたどり着いているかどうかが最強主人公の判断基準(神視点)であるとしている。

 有体に言えば、最強なのだからその能力を存分に活用して、不幸・理不尽を撥ね退けるべきだということである。最強主人公はあまりに有能だとストーリーを展開させにくいため、作者によって「知能」ないし「行動力」を奪われていることが多く、彼らの理想とする「まともな最強主人公の順当な活躍」には中々お目にかかれない。

 この派閥は一見平和的な集団だが、その実「そんなの全部ぶっ壊しちゃえばいいんじゃない?」と笑顔で口にするようなネジが数本飛んだ者が多い。デスゲームモノで最後の方まで余裕で生き残っているが、最後の最後で人助けをして命を落とすのは大体この派閥の連中である。

 

 

 

 

 

  関係的強者グループ勝ち負けといった野蛮な戦いの部分ではなく、主人公の立ち振る舞いや生き様に視点を向けたハードボイルド集団。強さを身につけたものは、自ずと立ち振る舞いもそれに見合ったものになるのだ、とその身を以って知っている。故に、最近流行りの『作品の設定上は最強だが、どうも発言や行動がそれに見合っていない不自然な主人公』に否定的な者が集まっている。

 このグループは2つに大別されるが根本的な思想が似ているためか、派閥間の仲は比較的良く、冒険者ギルドに行けば隅の方で両派閥が静かに酒を酌み交わしている姿が見られる


   、非依存派:強者であるのなら、何も恐れることはない。無駄に波風を立てる必要は無いが、いざという時には力を躊躇なく振るう覚悟・準備があれば良い、とする派閥。普段の主人公の立場には比較的寛容で、見た目上何らかの組織に所属したり、仲間がいても問題は無い。圧倒的な力に裏打ちされた自信から、ある程度の悪い展開に主人公が身をやつすことをも許容する。

 ただし、先述のように全てを力で覆す心意気・実行力が無ければただの流されている小心者であり、認められない(貴族のしがらみに縛られて云々……などその最たるダメな例である。問題が起こったのなら爵位など捨てて去るか、国ごと滅ぼせば良い。それが出来ない、あるいはその発想に至らないのは、作者・主人公のメンタルが悪い意味で小市民的だからである)。

 また、「強者なのに舐められてる~・圧倒的に立場が違うのに呼び捨てにされてる~・最強のはずの主人公が意味もなく下手にでてる~」といった不自然な関係性は好まない。平生から強者は特有の風格を兼ね備えていることが当然であり、会話の端々からそれが伝わってしまうものだからである。彼らに言わせると、棚ぼたで力を手にした「一般人・小市民」と「本物の強者」は前提からして異なるのだ。

 畢竟するに、強者とは威厳・風格を持つため自然と周りとの距離が一定に保たれ、しかも依存していない関係にあることが当然であり、またそうあるべきである。当たり前だが、良いように利用されちゃう系主人公や、「全てを知る者っぽい黒幕」に泳がされてる系主人公も論外である。彼らの好きな酒はスコッチ・ウイスキー

 

   、完全独立派:上の非依存派より厳格な集団。「強さ」とはそこにあるだけで「畏れ」を生む。また人間関係に規定されることも「強さ」を損なう。故に強者たる者は常に孤独・孤高でなければならない、と主張する厳しい派閥。たとえ近しい人間にも主人公がなんらかの形で力を利用されることは許されない。

 彼らによると、強者ならばあくまで独立した立場・思想から自発的な行動が求められる(つまり自分の信念から誰かに単発的に協力するならば許される場合もある)。この派閥が好むのはアメリカン・ウイスキーである。

 そんな彼らの中の一部が提唱した学説が下記のヒロイン不要説であるが、これに対しては俺tueee原理主義者の間でもかなり賛否が分かれており、折衷案の「現地妻支持説」なども人気がある。

 

    ヒロイン不要説:ヒロインがいると、単純に守るべきものが増えて展開上敗北が多くなる。逆に敗北しないのなら、弱点のヒロインが狙われないというご都合主義になる。また、主人公がヒロインに依存したり(情けなく媚びる・自分の秘密をカミングアウトして格好つけようとする他)、遊びのつもりが正妻ヅラされたりと、精神的な独立性が失われる。女一人思い通りにならないのは「強く」ない。ならばラブコメならともかく、俺TUEEE作品には最初からヒロインなど不要である、とする説

 

 

 

 

  精神的強者グループ主人公と周りの関係性に着目する、という意味で上記のグループに比較的近しい集団。「最強」には「戦いの強さ」も必要だが、精神面を無視しては語れまい、とするプロテスタント風グループ。彼らは3つに分かれている

 

   根性・不屈派:どんなに負け・苦戦しても、主人公に折れない心と信念があれば良い、とする熱い異端派閥。といっても、負けの度合いの許容範囲は人によって異なる。この派閥は主人公の多少の苦悩や葛藤も容認する者が多い。しかしあくまで俺tueee原理主義であるため、再戦して圧倒しなければ「tueee」としては失格である。たとえリベンジが成功したとしても、それはどちらかというと「tueeeモノ」ではなく「よくあるバトル成長モノ」なのではないか?という誹りも他派閥から多いが、広義の「俺tueee」には入っているため、一応こちらに分類した。

 この派閥の基準を容認すると、少年ジャンプ作品をはじめとする殆どのバトルモノが「俺tueeeモノ」になってしまうので、識者の間では否定的な意見が多い。

 

   、精神・信念派:「最強であること」も当然だが、同時に精神的に成熟し、かつ流されずに目的をもって行動して初めて「tueee」であるとみなす老成した正統派派閥。力に浮かれて軽はずみな行動をとったり、信念が無く行動がブレる者は、たとえ設定上最強でチートであっても我々は強者として認めない、と断固主張している。ウジウジ・葛藤・ヘタレが論外なのは言うまでもない。彼らいわく『強き力は強き精神に宿る』らしい。

 この派閥は同時に「主人公が知的であること」を条件に持っている場合も多い。また、一貫した信念という意味で「女は不殺」などの甘さを許容するか否か、派閥内部で血みどろの論争が起きている。

 主人公最強系作品は、「ダメダメでヘタレの普通の高校生(俺)が実は戦ったら最強ですごい!」というタイプが99パーセントを占めるため、彼らの理想とする作品は数えるほどしか存在しない。

   、超越精神派:上の精神・信念派から派生。「不殺」などの甘さを忌み嫌い、達観・超越した精神とその一貫性を追求するストイックな過激派。「強さ」に伴う異常性・狂気を好むが、だからと言って殺戮趣味のオカシナ主人公はやりすぎ、という非常に好みの偏った派閥である。

 強さに由来する「傍若無人さ」や「傲慢さ」は描写の仕方や展開次第で「ただの嫌な人間」に見えてしまいがちであり、彼らの追い求める理想形は未だ作品として存在していない。

 

 

 

  比較的強者グループ「強さ」は主人公などではなく、むしろ「敵」によって表出されるものだとする、一風変わったグループ。大きく2つに分かれる

 

   、他者からの評価派:主人公の強さは、周囲の人間の評価によってはじめて分かるものである。ゆえに、ただ戦いに勝利するのではなく、それを見た人間の驚きや評価の多さこそが「俺tueee」だとする派閥。ただし、倒した敵にも相当の実力があり、かつ敵としての魅力が無ければ、主人公が雑魚をいじめて粋がっている小物にしか見えないのでつまらない。また、不自然に主人公が持ち上げられすぎる舞台装置感の強い茶番も減点せざるを得ない、というのが彼らいわく難しいところらしい。

 

    、敵の絶望派:上の派閥の亜種。「強さ」とは自称するものではなく、命を懸けた戦いの中でこぶしを交わした相手のみが感じ取るのだ、とする本来は硬派な者が集う派閥。つまり敵の反応(主人公に対しての敗北感・無力感)こそが「tueee」の現れである。主人公の活躍よりも圧倒的存在に蹂躙される「敵の絶望」が好きなだけの、tueee好きの皮を被ったただの悪魔的サディストも多く所属する。  

 

 

 

 

 

  性質的強者グループ:「強さ」の根源たる力の性質の分析を試みた科学者気質の集団。主人公の「力」に 関して2つの見解を表明している

 

   、唯一無二性重視派:主人公を最強たらしめている力が唯一無二(特別)であることに着目した派閥。例えば異世界転移なら、他の転移者がいればその主人公の特殊性(=最強性)は大きく失われる。あるいは主人公の能力の上位互換や似た能力を持つものがいれば、それも同様に良くない、と主張する。なぜならば、「最強」とは本来一人を指すのであって、同レベルの強者がいるのなら「最強クラス」という形容の方が適しているからである。

 よく見られる混同だが、仲間やヒロインに力を分け与えてしまう「俺たちの勢力tueee」系もこれに該当するため、いわゆる「軍団モノ・ヒロインも最強モノ」は厳密には「非主人公最強モノ」にカテゴライズされる。

 

   、永続性重視派:主人公の力が奪われたり、封印されたりする展開は非常に多いが、それらを認めない(奪われたり封印されている時点でもはや主人公最強でもtueeeでもないとする)派閥。加えて、神なる爺の気まぐれでもらったチートや力など所詮借り物に過ぎず、「主人公」が強いのではなく「主人公を勝たせている存在(この場合は『力を与えし神』)」こそが最強だ、と論理的な分析をしている。

 彼らの分析を応用して、「VRMMO最強モノはシステム(されたバランス)に主人公が踊らされているのだから厳密には最強モノではない」という新理論も生まれ、各派閥から幅広い支持を集めた。 

 

 

 

 

 

 

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